じったbolg

1999生、旅テニスアニメゲーム下ネタ読書アウトドアとか、言語化しないと当時の思考が不鮮明なるので書いたり評論してる

卒業アルバムすべて捨てたぞ

卒アルを捨てるというのはミニマリストのK点のようなものだ。

 

togetter.com

ミニマリストとしての度を図るために卒アルと捨てたとマウンティングするのは明らかに違うとは思うが、それを抜きにして卒アルを捨てた主な理由を書いていこうと思う。

もちろん誰しも無理に卒アルを捨てろというものではないです。 

 

・過去への執着からの開放

昔の話ばっかする人っているよね。

別にそれが悪いとは思ってないのだが、自分たちが今生きてるのは今なので現状を楽しむことが優先だ。そういった今を生きる時に思考の妨げになるのが楽しかったと象徴されるイメージのある過去の学生時代、卒アルはその分身で過去への執着を生み出すような品なんだ。

 

別に自分が壮大な黒歴史を負ったわけでもなく学生時代がつまらなかったわけでもない。嫌だったこともあったが楽しいことのほうが多かったと思う。中学高校共に友達とうまく馴染めていて楽しめていたので卒アルの空白欄に寄せ書きをたくさんもらった。割と自分の中では結構嬉しかった出来事だ。

しかしどうだろう。

「これからもよろしく!」って書いてくれた人も殆どは連絡もしていないし、「好きです」と書いてくれたかわいいあの子も今は誰かの彼女だ。

人は変わる生き物だし昔から変わらない人なんていない。変わってないと思っている人でも自分の無意識下で変わっていく。

 

自分の中の原点を思い出すという意味では卒業アルバムは良いかもしれないが、そもそも自分は学生時代というひよっこのときにそんな固い意志や意向なんてものはなく、なんとなく生きていた感じだ。自分の卒アルはそういう意味合いもない。

 

そして今が一番若く、今を楽しむためには過去の思い出は必ずしも必要なものではない。自分にとって卒アルはもう必要なくなった品物なのだ。

 

 

・そんな見ないのに場所を取る

卒業してから実際に卒業アルバムを見る人の割合は意外と少ないらしい。

news.mynavi.jp

そして卒アルって割とでかいし場所を取る。自分はミニマリストなのでスペースはできる限り確保しておきたい。

もしどうしても見たくなったら最悪友だちに見せてもらえばいいだけだ。

卒アルは同じ年度の人ならばどれも同じですしね。

 

卒アルを捨てるのに躊躇するならば自分にとってポジティブな写真や価値があるものをスマホで写真に収めて保存しておけば良い。

そもそも卒アルってすべてがすべて自分にとって気分の良い写真だけじゃないし、嫌な気分を思い出す写真もある。そんなイメージを思い出すものを所有しているなら捨ててしまえってのが自分の考えだ。

そして自分にとって卒業アルバムとしての価値を感じた「名簿とみんなの寄せ書き」を写真に収めて保存。これで後腐れなくスッキリと卒アルを捨てることができた。

 

 

最後になるが、あくまで卒アルを捨てるのは自分の中で最良の選択であり、もちろん他の人にとっては信じられないかもしれない。でも「過去の象徴を捨てる」という行為は前に進むための選択としてはそこまで悪いものではないと思っているので、過去の学生時代の思い出が良いものでも悪いものでもその気があったら「卒アルを捨てる」ことを試してみてほしいと思う。